これは、先に連合自治会ブログで紹介された「新しい介護予防・日常生活支援総合事業について」の記事に沿って要約したものをシリーズでお伝えしているものです。

詳しくは連合自治会ブログをご覧ください。

人はなぜ他人を助けるのか?

誰しも、見知らぬ人から道を尋ねられたことがあるだろう。

逆に、あなたが道を尋ねたこともあると思う。

多くの場合、人から道を尋ねられたら、快く教えてあげるのではないだろうか。私も仕事で知らない街を訪れたときや、旅行で外国の街に行ったときなど、地元の人に道を聞いて助けられた経験が少なからずある。もちろん、自分が教えてあげた経験も同様だ。

 

このような見知らぬ人を助ける行動は社会において少なからず見られる。朝の満員電車で体が悪くなった人を介抱する、歩いていてハンカチを落とした人に「落としましたよ」と声をかける。行楽先でバッテリーが上がってしまった車のエンジンをかけるのを手伝う、といったことだ。

しかし、これは冷静に考えると不思議な行動である。通りすがりの見知らぬ人を助けても、おそらくそのひとに二度と会うことがない。その行為に対して、なんらかの見返りを得られることもないのだ。せいぜい、「ありがとうございます」の一言である。しかし、こうした行為が、社会をわれわれにとって住みやすい場所にしていることは間違いない。誰もこうした行為をしなければ、社会はギスギスしたものになってしまうだろう。

 

日本には古くからの「情けは人のためならず」ということわざである。この言葉の意味は、情けは人のためにならないというのではない。他の人を助けておけば、巡り巡って自分に返ってくると、という考え方だ。面白いことに、これに似たことわざは英語にもあり、"Kindness is never lost" すなわち親切は決して失われないという意味である。

 

しかし、この種の親切はこのことわざを意識することなく自然にでる行為であっていちいち考えていない。また、この行動倫理は日本人において特に顕著であり、世界からも賞賛されている。

感想

オリンピック誘致に対しての滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」、第二次世界大戦中の杉原千畝氏のユダヤ難民の6000人のビザ発給で多くの避難民を救ったこと、1920年のシベリアのポーランド孤児765名の救出など、世界が絶賛するほどの美談の背景に日本人の善行のDNAが潜んでいることである。

 

杉原 千畝は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、日本から遠く離れた地のユダヤ系の人々であった。

 

地域の希薄化は日本の歴史からみれば、一瞬のことであり、本来の助け合いのDNAは厳然と存在することを忘れてはならない。

 

八郷西自治会協議会長 久保田領一郎