地域の絆・助け合いの大切さをお伝えしているシリーズ19回目も、前回同様江戸時代の日本人の生活についてです。

その生活は西洋人の目にどのように映っていたでしょうか。

当時の欧米人が見た日本の庶民生活を支えていたものは地域の絆だったのではないでしょうか。

「欧米の貧民たちの暮らしぶりと比べて」

 日本を訪れた西洋人たちが、日本人の幸福な生活ぶりに驚いているのは、当時の欧米社会と比較してのことであろう。たとえば、フリードリッヒ・エンゲルスは19世紀中葉のイギリスの貧民街の有様を次のように描写している。

 貧民にはしめっぽい住宅が、すなわち床から水のはいあがってくる地下室か、天井から雨の漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。
・・・貧民には粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化のわるい食料品が与えられる。
・・・貧民は野獣のようにかりたてられ、休息も、安らかな人生の享楽も許されない。

 工場主は子供をまれには5歳から、しばしば6歳から、かなり頻繁となるのは7歳から、たいていは8歳ないし9歳から、使い始めること、また毎日の労働時間はしばしば14時間ないし16時間(食事のための休み時間を除く)に及んでいること、また工場主は、監督が子供をなぐったり虐待したりするのを許していたどころか、しばしば自分でも実際に手をくだしていたことが語られている。

 当時、来日した欧米人はみな母国におけるこのような悲惨な下層階級の生活ぶりを知っていたはずだ。それに比べれば、海岸で大人も子供を一緒に海藻集めにいそしんでいる日本の庶民の光景は、いかにも幸せそうに見えたはずである。

 

感想

 貧困だけと幸福である社会と貧困故の悲惨な生活を強いられる社会、同じ貧困であっても、かくも違うことに驚愕をもって当時の欧米人に映ったことは着目に値する。

 変な話であるが、当時の日本の貧困は世界に誇れる遺産である。

八郷西自治会協議会長 久保田領一郎