地域の絆・助け合いの大切さをお伝えしているシリーズ26回目です。
前回は「地球上最も礼儀正しい民族」とのタイトルで掲載しました。
日常生活で何気なく交わしている挨拶と笑顔、日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法であるとハーンは言っています。
笑顔の挨拶は明るい地域を作る必須条件ではないでしょうか。
日本人の微笑
アイルランドからやってきて日本に帰化したラフカディオ・ハーンは、日本の友人から次のような質問を受けた。
外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう。あなたはお話しなさりながらも、微笑を持って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を見せないのは、どういうわけなのでしょう。
ハーンは、この質問を受けた時の感想を次のように書いている。
この友人が言うように、私はすっかり日本のしきたりに染まっていて、西洋式の生活に触れる機会を持たなかった。そう言われて初めて、自分自身がどこか奇妙な振る舞いをしていることに気がついたのである。・・・
日本人が言うところの「怖い顔」をした外国人たちは、強い侮蔑の口調をもって、「日本人の微笑」を語る。彼らは「日本人の微笑」が、嘘をついている証拠ではないかと怪しんでいるのである。
ハーンは長年の日本生活を通じて、自ら「日本人の微笑」を身につけてしまった。その経験から「日本人の微笑は、念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法なのである」と結論する。
相手にとっていちばん気持ちの良い顔は、微笑している顔である。だから、両親や親類、先生や友人たち、また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては、いつもできるだけ、気持ちのいい微笑みを向けるのがしきたりであるそればかりでなく、広く世間に対しても、いつも元気そうな態度を見せ、他人に愉快そうな印象を与えるのが、生活の規範とされている。たとえ心臓が破れそうになっていてさえ、凛とした笑顔を崩さないことが、社会的な義務なのである。
反対に、深刻だったり、不幸そうに見えたりすることは、無礼なことである。好意を持ってくれる人々に、心配をかけたり、苦しみをもたらしたりするからである。さらに愚かなことには、自分に好意的でない人々の、意地悪な気持ちをかき立ててしまうことだって、ありえるからである。
こうして幼い頃から、義務として身につけさせられた微笑は、じきに本能とみまがうばかりになってしまう。
(国際派日本人養成講座資料より抜粋)
感想
日本人の微笑は、外国人に対して言葉が解らないから、微笑で誤魔化していると思われてきたものが、外人の感想からするとそうではなく、相手の気持ちを察して自然とでる笑顔がでるということである。この笑顔の背景にも日本人の相手の身になって考えるという習慣があるということである。
八郷西自治会協議会長 久保田領一郎