能原神社には全部で5か所に石鳥居があります。4基は神明型という伊勢神宮と同じ形の鳥居で1本だけが八幡型という、八幡神社に見られるものです。

普通これらの鳥居には柱の裏面に奉納された年号と奉納者の名前が刻まれていますが、これは風化のせいで消えて読めません。
石の風化の具合や形から作られ奉納された年代はおそらく鎌倉時代と思われます。この能原神社の遺物では一番古いものだろうと思われます。記録があれば文化財級です。

これと同じものが菰野町小島の耳常神社にあります。耳常神社は能原神社と同じく延喜式内社で古くからこの地に祀られてきた神様のお社です。
耳常神社の石鳥居は神社の記録から鎌倉時代に寄進されたものであることが判っています。風化の具合は同じようです。また柱の足元の加工仕上げも荒彫りのままという時代色が表れています。

時代の特長として平安時代から鎌倉時代にかけ伊勢神宮の勢力が衰え、武家においては八幡神への信仰が中心となってきたことと、庶民においては牛頭天王信仰が中心にてきたことが挙げられます。
特に江戸時代において北伊勢は尾張津島神社の影響で①天王②稲荷③八幡といわれるくらいに牛頭信仰は広がりました。能原神社も一時は牛頭天王社と言われていました。明治になると伊勢信仰が復活宮型のものが多くなりました。

 

ちなみに下の写真左は伊勢神宮内宮宇治橋にかかる大鳥居です。右写真は日本で一番古い石鳥居である、大阪市天王寺の鳥居で永仁2年(1294年)製のものです。
形の違いが分かりますでしょうか。

<資料提供> 北勢地域インタープリター協会