ラジオ体操の沿革2 2012年9月6日
1931(昭和6年 月)東京の各学校を会場に「ラジオ体操の会」
を行う(7月21日~8月31日)239会
場87,000人参加
1932(昭和7年 月)「ラジオ体操の会」を全国で行うように
なり、年々参加者が増加していく。また、青
壮年向けに「ラジオ体操第二」が制定された。
1940(昭和15年 月)「大日本国民体操」と改名し「ラジオ
体操第三」も制定された、軍部独裁の政治色が
強くなり、「国民精神総動員」として半強制的
に「ラジオ体操」の参加を奨励した。
1945(昭和20年 月)敗戦と共にGHQの目が厳しくなり、
軍国主義色の濃い「ラジオ体操」の中止が
決定した。
1946(昭和21年4月)NHKが新しい体操が発表された。GH
Qの承認も得て放送が再開された。
1947『昭和22年8月)敗戦の混乱の中、国民の中に浸透出来
ず、一時放送を中止する。
1950(昭和25年 月)NHKが世論調査をしたら、「ラジオ体
操」の復活を望む声が60%を超え復活に
弾みがついた。
1950(昭和25年11月)簡易保険局・NHK・文部省等が協議
して「ラジオ体操」の復活を決定した。
1951(昭和26年5月)東京神田共立講堂で発表会を、その翌日
よりNHKから全国放送で開始した。
<・・・いつでも、どこでも、誰でも・・・老若男女を
問わず誰でも出来るラジオ体操・・・>
1952(昭和27年6月)新しく「ラジオ体操第二」が完成し、
現在の「ラジオ体操第一・第二」が出来上
がった。
これを期に、東京都で「ラジオ体操連盟」
が結成された。