地域の絆・助け合いの大切さをお伝えしているシリーズも24回目です。

日本人の特性を中国人の姚南さんは「民族性」と呼びました。

思いやりと助け合いという「民族性」は、薄れつつも、現代日本に根強く残っています。

先人が築き上げた地域の絆・助け合いの共同体のありようを、しっかり継承していくことは今われわれに求められているものと思われます。

「幸福な共同体のありようを継承、再生する責務」

シリーズそれぞれで述べてきたような幸福な共同体は、過ぎ去った過去の幻影として、現代の日本では完全に失われてしまったものだろうか? 実は、現代の日本を訪れた外国人も、幕末・明治に日本を訪れた外国人と同様の体験を語っている。
 たとえば中国から来て日本滞在20年、今では帰化して大学で中国語を教えている姚南(ようなん)さんはこう語っている。

 これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本ではどちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。

 ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。

 こうした日本人の特性を姚南さんは「民族性」と呼んだ。思いやりと助け合いという「民族性」は、薄れつつも、いまだ現代日本に根強く残っている。

 しかし、こうした社会の徳性は、自然に生じたり、勝手に続くものではない。家庭の中で親が子をしつけ、共同体の中での大人の振る舞いが青少年を無言のうちに教え諭す。そうした一つ一つの行為の所産なのである。

 とすれば、我々の先人が築き上げた幸福な共同体のありようを、しっかり継承し、現代にマッチした形で「大いなる和の国」を再生するのは、我々、現代の日本国民の責務であると言える。


(国際派日本人養成講座資料より抜粋)

感想

 日本人の古き良き時代の「民族性」は、昨今失いつつある中で、今もしっかりと受け継いでいる家庭が存在する。実は、この特性が有する本来の価値から考えると世界で問題になっているテロとかの課題も異なった観点からの解決できる要因であるかも知れない。

 このような考え方が多数を占める地域にしたいものである。

八郷西自治会協議会長 久保田領一郎