八郷地区について

 四日市市の位置

四日市市は三重県北部にあります。

 四日市市における八郷地区の位置

四日市市は24の地区に分かれています。
八郷地区はその一つです。

 八郷地区(やさとちく)の概要(がいよう)

のどかな田園(でんえん)の風景(ふうけい)が広(ひろ)がり、自然(しぜん)に恵(めぐ)まれた八郷(やさと)。
室町時代(むろまちじだい)、萱生城(かようじょう)に春日部氏(かすかべし)、広永城(ひろながじょう)に横瀬氏(よこせし)が居城(きょじょう)し、この地(ち)を支配(しはい)していましたが、織田信長軍(おだのぶながぐん)の北伊勢侵攻(きたいせしんこう)の際(さい)、兵糧攻(ひょうろうぜ)めに遭(あ)い、降伏落城(こうふくらくじょう)しています。1889(明治(めいじ)22)年に、萱生(かよう)、中村(なかむら)、平津(へいづ)、千代田(ちよだ)、伊坂(いさか)、山村(やまむら)、広永(ひろなが)、広永新田(ひろながしんでん)(現在(げんざい)の山分町(やまけちょう))の八(やっ)つの村(むら)が合併(がっぺい)して八郷村(やさとむら)となり、1954(昭和(しょうわ)29)年に四日市市(よっかいちし)と合併(がっぺい)しました。

文政6(1823) 桑名藩領広永村・広永新田・山村・伊坂村・千代田村・平津村・中村・萱生村、武蔵国忍藩領となる。
天保13(1842)  忍藩領広永村・広永新田・山村・伊坂村・千代田村・平津村・中村・萱生村、幕府領となる。
安政元(1854) 幕府領広永村・広永新田・山村・伊坂村・千代田村・平津村・中村・萱生村、忍藩領となる。
明治9(1876) 開明学校の創立(現、八郷小学校)
明治22(1889) 平津・広永・山村・伊坂・千代田・中村・萱生の各村と
広永新田(大矢知村枝郷山添を含む)が合併し、朝明郡八郷村となる。
明治25(1892) 八郷尋常小学校の開設
明治29(1896) 三重郡八郷村となる。
明治44(1911) 八郷尋常高等小学校の開設
昭和6(1931) 三岐鉄道の開通。平津・萱生駅の開設。
昭和23(1948) 大矢知・下野・八郷村の組合立朝明中学校、八郷村内に創立
昭和29(1954)  四日市市に編入

市内北西部の高台にあるエリアで地区内に東名阪自動車道の四日市東インターチェンジや、伊坂ダムと山村ダムの恵まれた自然を生かしたサイクリングコースがあります。
1970(昭和40)年から三岐鉄道三岐線沿線の開発によって「平津団地(平津新町)」と「あかつき台団地」の住宅造成が始まりました。
1978(昭和53)年あかつき台、萱生町を学区とした八郷西小学校が分離独立。
翌1979(昭和54)年下野地区に下野小学校区と八郷西小学校区を校区とする西朝明中学校開設。
1995(平成7)年には、伊坂台が誕生しています。
北勢四十八家の1家である春日部氏が城主だった萱生城の跡地に暁学園の本部があり、暁中学校・高等学校・四日市大学・四日市看護医療大学が立地します。
●面積/10.21㎢ ●人口/12,624人 ●世帯数/5,057世帯
(2017年4月11日現在 住民基本台帳登録数)