地域の絆・助け合いの大切さをお伝えしているシリーズも23回目となりました。

明治時代初期、東京帝国大学の教師となったバジル・ホール・チェンバレンは「ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心から信ずる心が、社会の隅々まで浸透している」と指摘している。
「同じ人間」という考え方で共同体をまとめてきた先人たちの知恵が、今も深く浸透しているのでしょう。

「われわれはみな同じ人間である」

 思いやりと助け合いの根底をなすのは、人々の平等感であろう。明治6(1873)年に来日して、東京帝国大学の外国人教師となったバジル・ホール・チェンバレンは「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である」と指摘している。

 金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと信ずる心が、社会の隅々まで浸透しているのである。

 冒頭に紹介した初代駐日公使タウンゼント・ハリスは、江戸での将軍家定との謁見について、こう書いている。

 大君の衣服は絹布でできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。だがそれは、想像されるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然(さんぜん)たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった。私の服装の方が彼のものよりもはるかに高価だったといっても過言ではない・・・

 殿中のどこにも鍍金(めっき)の装飾を見なかった。木の柱はすべて白木のままであった。火鉢と、私のために特に用意された椅子とテーブルのほかには、どの部屋にも調度の類が見あたらなかった。

 日本の最高権力者である将軍は、米国の一公使よりも質素な服装をしており、逆に一般民衆には欧米社会のような貧民はいない。将軍から町民まで、「同じ人間だ」という意識が浸透していたのである。

(国際派日本人養成講座資料より抜粋)

 感想

 江戸幕府の基本的な政策に「権力と財力を両立させない」という考え方があり、財力のある外様大名には決して中央の参政権を与えませんでした。老中などの大役にあたる人物にも特に加増などはしませんでした。

 そういった風潮もあって、実は庶民よりも貧乏な武士が沢山いました。

 支配者層が被支配者より貧しいというのは世界的に珍しく、これが外国人にとって平等に映ったのでしょう。

また江戸幕府はたびたび倹約令を行いました。それが庶民の平等意識を一層醸成していったのでしょう。

八郷西自治会協議会長 久保田領一郎