恵みの川であるはずの朝明川ですが、鈴鹿の峰の源から流れ出した水は曲がった処では堤防に激突を繰り返し土砂を削りとって下流へと流れます。
大雨が降れば水量は何十倍にも増えて怒涛の勢いの水は平時の穏やかさをかなぐり捨てた鋭い凶器となって堤防をえぐりとって流れるのです。
■へいづのとこや理髪店付近(S.49)
■山分橋上流(S.49)
私の記録ですが、昭和13年の洪水では平津町の2軒の住宅が流され、数十軒で浸水被害を経験したのが最初でした。振り返って恐かった記憶は昭和34年9月26日の伊勢湾台風、昭和46年9月26日の台風29号、昭和47年9月16日の台風20号、昭和49年7月24~25日の低気圧による豪雨が浮かびます。この時は平津の60%の家で浸水被害を受けました。
■盛り土の上に建つ家(S.49)
■三岐鉄道たんぼ中鉄橋 (S.49)
■カドサカ堤防 (S.49)
水害を防ぐ住民の知恵は昔から考えられてはきました。
でも工事は予算あって実施されるもので、住民のもどかしさはあっても施工緊急度合いによって行なわれ期待通りに進んでないのが実態です。
最近では平成24年9月30日台風17号による被害で緊急護岸工事が新小角橋西左岸で、2箇所4,200万円と5,000万円かけそれぞ7ヵ月かけて実施されました。里橋西左岸工事、これは4ヶ月1,900万円かけて終了しました。
■里橋西左岸工事 (H.24)
【写真提供 成田正明 敬称略】