2020年も押し詰まった12月30日、いつものOさんから投稿を戴きました。

広報「ひとみ」(12月20日号)の八郷の歴史紹介シリーズで取り上げられました「久留倍官衙遺跡」、早速Oさんは遺跡訪問、鷹羽狩行氏の句を添えて歴史ロマンを届けて戴きました。

近くの遺跡ですので皆さまもぜひ訪問されては如何でしょうか。

また、ヤマガラが乱舞する様子を併せて届けて戴きましたのでご覧ください。

Oさん今年も沢山のご投稿を戴き有難うございました。

来年もご投稿をお待ち致しております。


 

葛の花むかしの恋は山河越え

鷹羽狩行

くるべ古代歴史公園にて

秋の七草は、『万葉集』の山上憶良(やまのうえのおくら)の「七種(ななくさ)の花」

という和歌から始まっているそうです。11月1日に公開された公園内には、万葉の歌人に詠まれた植物が植えられているエリアにあります。7世紀後半の朝明川流域一帯は、伊勢の国朝明郡と呼ばれていました。郡内には郷(ごう)がいくつかあり、訓覇郷(くるべごう)にあった役所の跡地が今「久留倍官衙(くるべかんが)遺跡公園」になっています。復元された当時の「役所」は、伊勢湾を望む東向きに建てられています。

八脚門(はっきゃくもん)と塀


(東に向かって撮影、奥は北勢バイパス)


「ひとみ」(12月20日号)の八郷の歴史紹介シリーズでは、古代に朝明郡だった八郷や大矢知地区に住む私たちが、今でも壬申の乱(762年)に関心を持つ理由が数点挙げられています。大海人皇子(おおあまのおうじ)が、朝明郡を通過したというだけで、シリーズの筆者が抱く「何か親近感に近い思い」は、八脚門や正殿という古代の舞台装置が復元された今、確かに一層強くなるばかりです。

皇位継承を巡って皇子は、吉野を出発してわずか4日で宇陀、名張、三重、朝明、桑名を経て天下を分ける不破に陣取り一気に優位を確保しています。朝明の郡家では、おそらく、当地の有力者たちを味方につけたものと思われます。川岸で戦勝祈願をしたそうです。その川が現在のどの川に当たるのかは、「ひとみ」にくわしく取り上げられています。

壬申の乱への私たちの関心の理由の一つに「乱の過程において恋愛あり、情愛あり、忠義あり、裏切りあり、策謀、陰謀が渦巻き、どの切りロをとっても詩歌、絵画の対象となる場面が豊富」であるためとしています。事実、憶良と同時代人だった皇子といえば、額田王(ぬかだのおおきみ)との恋の歌で有名です。「茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の一首は、歌人が天皇とその弟の二人に愛されたという説になっています。八脚門は、まさに壬申の乱当時の古代歴史ロマンへの扉にもなっていると思います。



正殿


長大な建造物遺構を半立体表示する丸太の列

右端の脇殿の東向きに対して、約半世紀後にはやや南向きに変化しています。

神聖だった政庁が、奈良時代中頃には稲穂を保存する倉庫に変化しています。

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ヤマガラの乱舞

(視聴時間は、57秒です。)

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「ひとみ」の八郷の歴史紹介Vol.93は、こちら↓をご覧ください:

http://yasato.org/wp-content/uploads/2020/12/h20122012.png

くるべ古代歴史公園は、次のサイトをご覧くささい:

https://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/

動画のBGMは、"dog's duck jog"(MusMus http://musmus.main.jp/)より。

掲句は、https://www.haijinkyokai.jp/calender/haiku30_09.htmlより。