地域の絆・助け合いの大切さをお伝えしているシリーズ22回目です。

明治維新前後に日本を訪問したイギリス人とロシア人二人の見聞録です。

二人の外国人が見た多くの日本人の振る舞いは、地域すなわち共同体の中で生活していく知恵だったのかも知れません。

「口論しあっている日本人の姿を見かけたことがなかった」
 このような社会では、喧嘩や口論もほとんどない。維新前後に2度、日本を訪問した英国人W・G・ディクソンは、こう述べている。

 私は日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、大声で言い争ったりしたのを見たおぼえがない。また、中国では毎日おめにかかる名物、つまり二人の女が口論したり、たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったりしているのも一度も見たことがない。

 明治7(1874)年から翌年にかけて、東京外国語学校でロシア語を教えたレフ・イリイッチ・メーチニコフもまったく同様の体験を記している。

 この国では、どんなに貧しく疲れきった人足でも、礼儀作法のきまりからはずれることがけっしてない。・・・わたしは江戸のもっとも人口の密集した庶民的街区に2年間住んでいたにもかかわらず、口論しあっている日本人の姿をついぞ見かけたことがなかった。

 ましてや喧嘩などこの地ではほとんど見かけぬ現象である。なんと日本語には罵りことばさえないのである。馬鹿と畜生ということばが、日本人が相手に浴びせかける侮辱の極限なのだ。

 口論や喧嘩は、利害の対立から生ずる。思いやりと助け合いに満ちた共同体では、各自が自己主張を自制するので、利害の対立は少なく、その結果、人々は互いに争うこともほとんどないのであろう。

(国際派日本人養成講座資料より抜粋)

感想
 言葉は心に繋がった行動の一つです。言葉で人を傷つけることは、暴力で人を傷つけることと何の変わりもありません。肉体以上に大切な精神に深い傷を負わせます。

 怒鳴りつけるということは、言葉をハンマーにしてぶん殴っているのです。人を攻撃するのは、相手の心を刃物で切りつけているのと同じです。

 こうしたことを知っていた当時の人々が人間の本質を見抜いていたことに驚きさえ感じます。

 どのような教育で身につけたのでしょうか。

八郷西自治会協議会長 久保田領一郎